いすみ鉄道の歴史
鉄道路線開通まで
明治 | 32年 | 12月 | 房総鉄道(外房線)大原まで開通 |
43年 | 県知事に軽便鉄道請願 |
県営人車軌道
明治 | 44年 | 6月 | 大原・大多喜間に軽便鉄道請願 |
44年 | 7月 | 大多喜間に軌道が免許、県債券8,500円 | |
大正 | 元年 | 12月 | 県営人車軌道線 大原・大多喜間約15km開通 停車所4 停留所3 退避所2 |
2年 | 3月 | 大多喜町桜台の代表 千葉・東京に鉄道敷設計画の偵察 | |
6年 | 人車の利用者1日あたり約150人余り | ||
7年 | 末頃 | 乗車数35,541人、職員6人、乗車手19人、貸車夫1人 8人乗り客車:10両 4人乗り客車:10両 貸夫:37両 |
夷隅軌道時代
大正 | 9年 | 人車軌道線の経営権、民間に貸与 |
10年 | 人車軌道線3万円で譲渡、夷隅軌道株式会社設立 10人乗り軌道車導入 大原・小浜間軌道延長 | |
昭和 | 2年 | 国鉄、夷隅軌道株式会社の改修改良工事に着手 |
木原線 国鉄時代
昭和 | 5年 | 4月 | 木原線大原・大多喜間15.9kmが開通 |
7年 | 蒸気機関車C12型、木原線に導入 | ||
8年 | 8月 | 大多喜・総元間が延長開通 | |
9年 | 8月 | 総元・上総中野間が延長開通 営業距離26.8km | |
12年 | 2月 | 東総元・西畑の両駅設置 ガソリンカー運行 | |
19年 | 女性職員登場 太平洋戦争で軍需物資を輸送 | ||
29年 | 9月 | ディーゼルカー・レールバスが導入 | |
35年 | 6月 | 新田野・小谷松・久我原各駅設置 | |
36年 | レールバス廃止 | ||
44年 | 9月 | 木原線の貨物輸送廃止 | |
47年 | 房総東線が外房線と改名、全線電化 | ||
54年 | 12月 | 「日本国有鉄道の再建について」閣議決定 ”輸送密度2,000人未満路線”の廃止と、バス・第3セクターへの転換決定 | |
55年 | 2月 | 全国知事会で地方交通線対策緊急要望書提出 | |
3月 | 大多喜・夷隅・大原町議会で木原線存続を決議、2月県議会で木原線存続の請願採択 | ||
4月 | 大多喜で木原線存続の総決起大会開催 | ||
5月 | 地元1市5町に国鉄木原線対策協議会を設置 | ||
56年 | 12月 | 木原線特定地方交通対策協議会で輸送密度2,000人を達成目標以降に木原線乗車運動実施 | |
61年 | 11月 | 木原線第三セクター方式での存続を承認 |
JR木原線時代
昭和 | 62年 | 4月 | 国鉄改革法で国鉄から東日本旅客鉄道株式会社(JR)運営 |
6月 | いすみ鉄道株式会社創立総会開催 | ||
7月 | いすみ鉄道株式会社設立登記 | ||
63年 | 3月 | 23日でJR木原線廃止 |
いすみ線時代
昭和 | 63年 | 3月 | 24日からいすみ鉄道営業開始、いすみ鉄道開業記念式典挙行 |
ワンマン運転 車両7両 社員31人 営業距離26.8km |